さいわいルーフロゴ

金属屋根の歴史における、さいわいルーフ 金属と金属屋根の歴史


 金属屋根が屋根葺き材として使われるようになったのは比較的新しいのですが、人間と金属のかかわりあいは古いのです。
それは、新石器時代に金を発見する事に始まると言われています。
すでに紀元前4000年〜3000年頃のエジプト・メソポタミア等の古代文明では、精錬・鍛造・鋳造の技術が発達し、彼らが手に入ることのできた金属は、金・銀・銅・鉄・鉛・錫(スズ)および水銀の7種類であったと言われています。
後に人類最初の合金である青銅を胴と錫から作りだしています。

 ローマ時代には、銅と亜鉛の合金である真鍮(シンチュウ)も作られています。
金属が屋根葺き材として使われ始めるのもこの頃の事であると言われています。
確かな事実は、120年〜124年に再建されたパンテオン(ローマ)のドームを鍍金した青銅(655年以後は鉛葺き)によって葺かれていたという事であります。
いずれにしろ、当時使われていた建築材料としての金属は、銅(主に青銅)か鉛であり、近代になって亜鉛やブリキ・トタンといっためっき鉄板が開発されるまでは、長い間この2種類に限られていた様です。

 日本で金属屋根が登場するのは、江戸時代からです。
徳川幕府による労働力の結集と新技術の開発によって、城・神社仏閣および武家・商人の住宅が銅瓦によって葺かれるようになっていた様です。
しかし、銅は高価であった為、一般庶民住宅へまで普及する事はなかった様です。
一方、鉛は西欧に見られるほど多く使われた形跡はなく、わずかに加賀藩の端竜寺仏殿(1744年頃)や金沢城関係の建物に見られる程度で、鉄砲玉の備蓄の為に鉛瓦葺きにしていたとも言われております。
日本で金属屋根が本格的に普及するのは、明治維新以後のことであり、洋風建築技術の導入と金属圧延技術の進歩により急速に全国へと広がっていきました。
当時使われた材料は、銅・鉛・亜鉛それにブリキ・トタンでありました。
ブリキとトタンは輸入品であったにもかかわらず、鉄道建築から住宅・銀行・工場に至るまで、数多くの建物に使われました。
ブリキは、1700年頃イギリスで使われたのが最初で、19世紀のはじめにはアメリカで広く普及しました。
トタンが使われ始めるのは18世紀前半の事で、1837年にクロホードという人がが溶融亜鉛法の最初の特許を取得して以来、大量に生産されるようになり、今日見られる各種表面処理鋼板の原型はこのときに出来上がりました。
そして、さいわいルーフで主に使っているガルバリウム鋼板は、1972年にアメリカのベツレヘムスチール社によって開発されました。
今では、アメリカはもとより全世界で年間約120万トンの需要があります。
日本では、大同鋼板(現・日鉄鋼板)が、ベツレヘムスチール社とオーストラリアのジョンライサート社との技術提携により1982年に初めて商品化されました。

 当社は、1982年に、オリジナル屋根材『さいわいルーフ』を製造・販売し、今日にいたっております。

 このように、明治以降の歴史は、まさに『錆びない材料』開発の歴史であり、工業化とあいまって今日まで数々の製品を作り出してきました。
銅(青銅)・鉛からはじまり、亜鉛・ブリキ・トタンを経て、アルミニウム・ステンレス・特殊樹脂塗装板・各種複合板そして新素材へと、今や金属屋根はメンテナンスフリーの時代を迎えようとしています。


 建築ではゴシック聖堂の鉛葺きに始まり、金属屋根葺き材の発達が表情豊な屋根形態を可能にしてきました。
近建築の歴史を見ると、陸屋根がその象徴のように見られていましたが、再び建築にとっての屋根造形が重要な建築デザインのテーマになってきています。
※参考文献 屋根のデザイン百科 武者英二+吉田尚英 編著 彰国社